2009年12月31日

1999.12.31 エイラ・ド・セラード

この日は、今回の旅のクライマックス。エイラ・ド・セラード(Eira do Serrado)へ。
標高0mのフンシャル市街から、標高1,000m超(1,094m?1,084m?)までの、本格的な峠道です。
キレイに舗装されていますが、つづら折れの急坂。
途中、スーパーで買ったフランスパンと鰯の缶詰とマンゴーの昼食を挟んで、4時間の登り。

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どうしてこんなところに?と思う集落。

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木が少なくなって、標高が高くなったんだな、と思うと、間もなく分岐を過ぎて、到着。

少し歩いて展望台へ。

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眼下にはクラル・ダス・フレイラス(Curral das Freiras)という村。
おそらく標高差は500mくらいあるでしょう。


20世紀最後の夕日。
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登り4時間の道のりを30分で下り、フンシャルへ。

また港のあたりのレストランで夕食を取り、ペンサオンに戻りました。

いよいよ2000年・・・・
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2009年12月30日

春?

二宮町の吾妻山公園。菜の花が咲き始めていました。
見頃は1月中旬〜のようですが。
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今日は雲が出てしまい、富士山も見えなくて残念でした。
風が冷たくって。

タグ:菜の花
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1999.12.30 休息日

10年前の旅行記です

マデイラ島2日目。

リスボンで水たまりの中で寝ていたからなのか、風邪を引いたようです。
ペンサオンの山盛りパンの朝食を食べ、またベッドへ・・・
もともと苦手なパン食も、いい加減飽きてきました。

昼前に起き出して、港のレストランでお昼。
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スペインもそうでしたが、サラダにドレッシングがありません。
ただ、テーブルにオリーブオイル、ビネガー、塩、コショウが置いてあって、これを適当に振って食べるらしいです。
これがなかなかイケる!
この旅行を境に、我が家の食卓からドレッシングが消えました。


午後町を散歩。

自転車屋を見つけて入ると、ヘルメットが売っていて、1コ1,500円くらい。
お土産代わりにお買いあげ。

夜はまた港のレストラン。何を食べたかは忘れてしまいました。

posted by えすぷれそ at 00:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 1999年の旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月29日

試乗 Zロードスター

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いつものカレスト座間。
いい天気であまり寒くもなく、絶好のオープンカー日和。
運転していると視界はフロントガラスの中ですが、
頭の上から差す日差しが気持ちいい!

シンクロレブコントロールがついているクローズドのZもこの前に
乗ってみましたが、やはりオープンカーだと、ガツガツ早く走ろうと
いう気が起きませんでした。

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後ろ姿がせくすぃだねぇ・・・


タグ:日産 試乗記
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1999.12.29 マデイラ島へ

wikiのマデイラ島を勝手に要約↓
マデイラ島(Madeira)は、リスボン西南1000キロの北大西洋上に位置するポルトガル領の諸島。緯度としてはモロッコのカサブランカと同じぐらいである。
 年間平均気温が20℃前後という温暖な気候、青い海と輝く太陽、年中咲き乱れるカラフルな花やフルーツ等、南国情緒溢れるマデイラ島は、別名「大西洋の真珠」と呼ばれている。温暖な気候を求めてヨーロッパ各地から観光客が集まるヨーロッパでも屈指のリゾートアイランドでもある。特にイギリス人やドイツ人等のヨーロッパ北部から来る客に人気が高く、その数はポルトガル本土から来る客よりも多い

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10年前の旅行記です

夜中に随分ひどい雨が降っていたようです。朝、気がつくとテントの中は水浸し。
地面をよく見ないでテントを張ってしまい、どうやら水たまりの中に寝ているようです。

雨は止んでいます。濡れたテントをたたんで、リスボンのキャンプ場を後にします。
オフシーズンなんでしょうか、広いキャンプ場のテントサイトには、もうひと組のカップルがいるだけでした。

リスボンの街中を抜け、1時間ちょっとでリスボン空港に着きました。
この日は、リスボンからマデイラ島へ。
ポルトガル航空の国内線も、日本で予約したのですが、ファーストクラス。

旅行会社の担当の方も、
「ファーストクラスしか空いてませんねぇ。ファーストクラスしか予約できないのかな?」
なんて言う感じ。と言っても、往復3万円程度でしたが。

リスボン空港の中に自転車を押して、搭乗手続き。

テント水没後の汚らしい客ですが、ファーストクラスなので、「PRIORIDADE」というタグを自転車のトップチューブに付けて、預けます。
日本では、飛行機に乗せるときは分解して「輪行袋」に入れて・・・という面倒な作業をしなければいけないのですが、海外では「輪行」という文化がないんでしょうか、自転車は分解せずに積み込みます。

ファーストクラスに乗るのは生まれて初めて。"リゾートアイランド"にぴったり。しっかりとラウンジも使わせてもらいますよ(貧)

リスボンから、マデイラ島フンシャル(Funchal)までは、2時間程度のフライト。お昼時なので、途中食事のサービスもありましたが、どれもおいしかった!器は瀬戸物だし、パンも暖かくして出てくるし、やっぱりファーストクラスは違うなー。

島が見えてきました。予想以上に険しい感じです。
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島は暖かいです。いい天気ですし。Tシャツ1枚で走れます。
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市街までアップダウンの多い道を25キロ程度。途中、空き地で雨に濡れたテントを干したりして、のんびりと向かいます。

夕方、フンシャル市街着。市街地は多くの人で賑わっています。
宿くらい取れるだろ、という期待も虚しく、いくつもの宿に断られました。
何件目かに訪れた、ちょっと坂を上ったペンサオンで、「外で寝るよりはいいでしょう」と無理やり部屋を空けてくれました。窓がないのでお客さんは泊めないんだけど、という部屋でした。感謝、感謝です。

マデイラ島に来たいと思ったのは、ちょうどその秋、日経ビジネス誌のおまけ「旅名人」でポルトガルが特集されていて、マデイラの記事を目にしたことがきっかけでありました。比較的長い休みが取れそうだったので、南米にしようか、ケニアのサファリにしようか、と、いろいろ考えていたところで、その記事に食らいついてしまい、翌日きっぷを手配してしまったのです。
なので、下調べもほとんどしなかった(当時はネットを使っていなかったし)ため、まさかこんなに賑わっているとは、★、★★のペンサオンまで満室だとは思いもしなかったのです。

とりあえず泊まるところが確保できたので、ひと安心。
高台にあるので、町を望む夜景がきれいです。
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夕食はワイン蔵をイメージしたしゃれたバルで。
チップが少なかったようで、ウェイター君が悲しそうな顔をしていたけど、小銭がそれしかなかったんだ。ごめん。
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2009年12月28日

1999.12.28 リスボン+シントラ

10年前の旅行記です

ラゴスから乗ったバスは、朝5時過ぎにリスボンに着きました。
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雨が降っているし、あたりは真っ暗です。
明るくなるまでバスの待合所で過ごし、明るくなってカフェに行き、リスボンの中心街から数キロ、モンサント公園の端に位置するキャンプ場に向かいます。
http://www.lisboacamping.com/main.php?lg=1

リスボンは結構坂が多いですね。中心部から登り坂をひいこら登って、下り坂になって橋を越え、公園の森に入りまた登りで、もうすぐ坂を登り切るっていうとき・・・
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(地図「A5」と書かれたあたりで)ピックアップが横に止まり、何かしゃべっています。
どうやら、ハイウェイを自転車で走ってるのを見た、ここを戻って一般道を回れ、と言っているようです。あと300mも登れば交差点だったのに・・・乗せてくれるわけでもなく、ただ「戻れ」と。。。


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こうして、また坂を下り、下りきったところから登り直して、ようやくキャンプ場に着きました。

早速テントを張り、荷を軽くしてヨーロッパ西端の「ロカ岬」を目指したいところでしたが、どうにも高速道路でない普通の道への出方がわかりません。それに、片道40km以上の距離を昼前から往復するのは、ちょっと難しい・・・

自転車を置いて、世界遺産になっているシントラ観光に路線バスと電車で行きました。

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山の上の「ムーア人の城跡」からは、シントラの王宮、そして遠く大西洋が望めました。
自転車で旅をしていると、辺境に到達したくなります。国内では、宗谷岬とか佐多岬なんかがそうなんでしょうけど、「ロカ岬」もそんなところ。行ってみたかったのですが、シントラからも結構な距離があるようです。悔しいながらも、納得した眺めでした。

また電車で「ベンフィカ」駅に戻り、地元の人たちで混雑する路線バスでキャンプ場に戻り、インスタントのパスタをゆでてこの日の夕食としました。

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2009年12月27日

航空科学博物館

成田空港の南にある航空科学博物館に行ってきました。
横浜からはすいていたので、車で1時間半くらいでした。
ちなみに、東関東自動車道は成田まで「大都市近郊区間」の扱いなので、ETCどこまでいっても1000円の例外。なので、適用外のこの日でもあまり気にしないですみます。ちなみに首都高は休日料金でした。

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どうも飛行機はあまり好きではないです・・・
子どもたちには難しかったようです。

そのあと、成田空港にも寄ってみました。
成田に来るのは実に10年ぶり。

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そういえばAFは第1ターミナルだった・・・
年末を海外で過ごす人たちでごった返しているのかと思ったら、
意外とがら〜んとしていました。




タグ:飛行機
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1999.12.27 ヴィーニョ・ヴェルデ

この一連のエントリに掲載している写真は、当時のアルバムを適当にスキャンしたものです。
当時は、今と違ってデジカメは持っていませんでしたし、もう少しマジメに写真も撮っていたので、ニコンのFM2を2台持って、1台にはモノクロのTMAX400、もう1台はネガカラーを入れて撮ったものです。
モノクロ写真の原版サイズはキャビネ、印画紙はイルフォードで、「お風呂場暗室」で機械的に焼いたものです。
スキャナはジャンク品として買ったMultiReader 650U

10年前の旅行記です

ポルトガル2日目。
この日もアルガルヴェ地方を西へ走ります。

午前中は、ファーロまで。
ここも古い町並みがいい雰囲気を出しているところ。
観光客も多く、賑わってます。

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ポルトガル政府観光局のこのページでは、
さまざまな店やテラス、レストランがひしめく活気と賑わいに満ち溢れた中心街と、最高のシーフード料理が自慢のこのアルガルヴェの首都を訪れると、一歩進むごとに新たな驚きに出会うことでしょう。


などとあります。
にぎやかな街に着き、のんびり自転車を押しながらぶらぶらします。
が、すぐカフェで「エスプレッソ」であるところのBica(ビッカ)と、スペインはクレマ・カタラナなんだけど、カスタードのお菓子。

どうせならこの街で昼にしてしまおうと、レストランに入ります。
昼からお酒+前菜+メインのミニコース料理状態です。
メニューにヴィーニョ・ヴェルデ(緑ワイン)があるのを見つけ、頼むとフルボトルが1本出てきました。
つまみでオリーブが出てきました。
小たこのグリルを頼んだら、真っ黒で一見グロいものが出てきましたが、これがまた、めちゃくちゃうまい!

結局ワインは空になりました。自分はほとんど飲んでませんが。
これでは、もう走る気なんてなくなってしまいますよ(笑)

長い昼食のあと、アルブフェイラまで、なんとか、走りました。

ここから夜行バスが出てるかと聞いたのですが、今はなく、さらに西に行ったラゴスから出ている、とのことなので、ラゴスまでバスで行くことに。

乗り込む段になって、運転手が窓口の人に何か怒っています。
言葉はわかりませんが、自転車載せるなんて聞いてないよ、ということらしく、ちょっと冷や冷やしましたが、なんとか乗せてもらいました。

ラゴスに着いたときは真っ暗でした。

スペインのバスターミナルは、どこも大きくて、カフェもあったりして、そこで夜明かしできそうなくらい立派だったのですが、ポルトガルはそういう感じではなく、日本のちょっとしたバスの営業所風。

夜行バスの切符は、川沿いの大通りに面した小さなお店で買いました。
自転車代を別途払ったような気がします(今回初めて)。

バス停の近くのお店で夕食。
魚のフライがあって、それも青魚で、美味しかったのでした。
って、食べてばっかり(笑)

バスが出るまで時間があったので、鉄道の駅を見に行ったり、適当に散歩して過ごしましたが、ひとけの少ない寂しい印象でした。


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posted by えすぷれそ at 22:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 1999年の旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

1999.12.26 ポルトガルへ

10年前の旅行記です


早朝、セビリアからバスに乗りました。
ウエルバでバスを乗り継ぎ、国境の町、アヤモンテへ。
川の対岸はポルトガルで、渡し船がありました。ただ、高速道路が北岸に通じているので、ほとんどのひとはそこを通ってしまうのでしょうか、小さな舟で、パスポートを見られるわけでもなく、ただ川を渡っただけのあっけない国境越え。
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こうしてポルトガル入国。ヴィラ・レアル・デ・サントアントニオ(Vila Real de Santo António)から自転車で西に向かいます。

それまでのスペインのからっとした天気と変わって、怪しい雲ゆき。タビラの街に着く頃には、雨が降ってきました。石畳が雨に濡れて、しっとりといい感じです。
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カフェに入りましたが、両替はほんの少ししかしていません。二人で1個パンを買おうかどうか迷っていると、隣にいたおじさんがごちそうしてくれることに。曰く、雨の中自転車で走っているのを見た、そのファイトを応援したい、とのこと。旅行者の方みたいですが、感謝、感謝です。

この日はもうちょっと走って、オリャンの手前にある立派なキャンプ場でキャンプをしました。

・・・と、書きぶりがシンプルなのは、このあたりの記録も記憶もあまり残っていないのです。

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2009年12月25日

1999.12.25 休養日

10年前の旅行記です

旅に出ていると、日にちが過ぎるのは早いもの。
あっという間に1週間経ちました。
ここで、もう少しコマを進めておきたい気もありましたが、疲れが出てきてました。朝、いつものとおり散歩している段階まで、バスに乗ろうかどうしようか迷っていたのですが、セビリアに連泊することにしました。
でも、下水臭い部屋は嫌だったので、別のオスタルに引越し。きれいなうえに安い・・・


セビリア大聖堂ではクリスマスミサがありました。
巨大なパイプオルガンの生演奏(?)に大感動!
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そのあとは、カフェでゆっくり。
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タパスとカフェ・コン・レチェ。
タパスを頼むとパンを付けてくれたので、軽い食事ならこれでいいかな、という感じです。
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夜は、フラメンコ@ロス・ギャロス。
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こうして、スペイン最後の夜は更けていきました・・・

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2009年12月24日

2009.12.24 クリスマスイブ

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数年ぶりに、イブの夜に早く帰りました。

やはり、10年前の「長く待たされたスペインオムレツ」の話題になりました。

子ども達は、枕元に靴下と、欲しいものを書いた手紙と、キャンディーを置いて寝ています。

ラジコンカーが欲しいという3番目の子は、大きい靴下がいい、と、
お父さんの靴下を置いています。
ラジコンじゃなくて本物の車が来るぞ(ないない)。

上の子は、
DSDSDSDSDSDSDSDSDS・・・
と書いた手紙を置いています。
DSがない日は今日でおさらば、とまで言っています。
小学生にもなってサンタを信じるもんかなぁ、と不思議です。

しかし、クリスマスにDSなんて、
本体+ソフトで結構な値段になるじゃないですか。
そんな高価なクリスマスプレゼント、カミさんにもあげたことない。
いや、一度くらいはあったかな?
それに、自分だってポメラ買うのためらって「ハードオフジャンク品」モバギを使ってるんだから(これは趣味か)

要は、何かおかしくねぇか? と思ってしまいます。

なので、サンタさんは、君たちのお願いするものは持ってきてくれないと思うな。

それに、このケーキはこっそり二人で楽しみます。悪いけど(笑)


(おまけ)

サンタクロースと失われた30年(日経ビジネスオンライン)
つまり、私が言いたかったのは、プレゼントには、微妙な誘導意図が宿っているということだ。

 首都と国旗が刻印された地球儀。英語版のついたカルタ。電子工作セット。祖父母が寄越す物品には、そこはかとない教育臭があり、パパがくれるブツには、いつも追憶の気配が漂っている。ちなみに兄が妹に渡すプレゼントは、妹が望んでいるモノではない。自分が欲しがっているモノだ。というのも、兄はそれをじきに取り上げるつもりでいるから。うむ。悪かった。妹よ。許せ。過ぎた話だ。プレゼントが運んでいるのは感謝や愛情だけではない。底意や計算や悪意、時には復讐の念を宿して、商品は回転している。そういうものなのだ。





タグ:クリスマス
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1999.12.24 クリスマスイブ

10年前の旅行記です

スペインの食事は、朝が遅い。昼も遅い。夜も遅い。
そんな印象があります。印象だけかもしれません。
朝は10時頃カフェに。昼は2時から4時。夜は9時過ぎという感覚です。
でも、夜更かししている訳ではないので、毎朝、街を散歩して、カフェで朝ご飯を食べて出発、という日が多いのです。なので、どうも出遅れてしまい、走る距離がちょぼちょぼになってしまう、そんなサイクリング旅行になっているのですが、後々思い起こせば、そうして朝散歩した街の印象が強く残っているのですから、旅というのはよくわかりません。

この日も朝からアルコスの街を散歩。
崖の上の街ですから、そこから見る景色は雄大。
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タパスとパンとコーヒーの軽い食事をして、アルコスを去りました。
へレスに向かう途中で、街を見渡せる場所がありました。本当に崖っぷちです。
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この日はへレスまでさくっと走って、バスでセビリアへ。小さい街ばかり見てきたので、へレスは大都市に見えます。市街地に入ってから、なかなかバスターミナルにたどり着きませんでした。
へレス・デラ・フロンテラ(Jerez de la Frontera)は、シェリー酒の本場で、カミさんはさっそくぱかぱかと飲んでいましたが、飲めない自分はやはりコーヒー。

さて、クリスマスイブのセビリアですが、お店がぜんぜん開いていない! 噂では聞いていたのですが、こんなに徹底しているとは・・・ガイドブックに書いてあるお店も軒並み閉店。歩いてやっと見つけたお店も、美味しくないことはなかったけど、出てくるまでずいぶん長く待たされました。今日は、クリスマスの関係ないチャイニーズレストランにすれば良かったかなーと思っても後の祭り。

おまけに、カテドラル近くのオスタルは部屋が何だか下水臭く、なんだかイマイチで、ぜんぜん色気のないクリスマスイブの夜を過ごしたのでした。

夜中に、大聖堂の鐘が鳴り響いていたのを、寝ぼけながら下水臭い部屋で聞きました。それだけは印象的でした。

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2009年12月23日

1999.12.23 スペイン語

あちこちに小さなお店があって、エスプレッソマシンがありました。毎日何度も、カフェを気軽に楽しみました。それこそ、馬鹿の一つ覚えのように、「カフェ・コン・レチェ(カフェラテ)」とオーダーしていました。

ここ、サアラ・デラ・シェラでもそう。
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ちなみにエスプレッソは、「カフェソロ」。
(expreso(えすぷれそ)は、列車のExp.)。



さて、本題。

10年前の旅行記です

後ろ髪を引かれる思いで、ここ、サアラを後にしました。
何度も何度も、山の上の白い町を振り返りながら。

この日はいくつもの「白い村」を経由しながら、アルコス・デラ・フロンテラまで走ります。

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※コート・デ・ボルノス

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※季節外れのヒマワリ

白い村があるとはいえ、サハラに1泊してしまうと、どこも、どうもいまいちしっくりこなくて・・・なんだか騒々しいので、ちょっと町によっても早々に退散、という感じになってしまいます。

ビリャマルティンの町外れのガソリンスタンドで昼食。やはりここでもカフェ。
スタンドの親父に、アルコスまでどのくらい?と聞いたところ、返ってきた答えが、

”Twenty cinco kilometers"

一応、1〜5までの数くらいはスペイン語がわかったので、意味は通じたのですが、なんかおかしかったです。

その25kmも、途中寄り道も含めると2時間以上かかってしまいました。風向きのせいか、かなり疲れてしまいました。そのうえ、アルコス・デラ・フロンテラはまたもや断崖絶壁の上に作られた要塞(?)の街。またもや中心部までは急な坂を自転車を押して、やっとのことたどり着き、街の奥の方にあるオスタルをこの日の宿としました。

冬ですが、入った定食屋さんではガスパッチョがありました。観光客向けメニューなのでしょうか。

宿に帰る途中、一人の男が近寄ってきて、口に手を近づけて、

「パラ・ベベール?(para beber?)」と。

何か飲み物くれ、ということでしょうか。

もう、ほとんどスペイン語を忘れてしまいましたが、この日の2つだけは、10年たった今でもはっきりと覚えています。


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2009年12月22日

1999.12.22 白い村

10年前の旅行記です

写真しか残っていないので、日の出が遅いのか、朝早くから動いているのか覚えていませんが、日の出の頃からロンダの町を散策します。白い町が朝日に輝いていて、とてもいい雰囲気。ついつい、長居して、出発が遅れてしまいます。

この日はガシガシ走ろうかと思っていたのですが、市内観光に時間を取りすぎてちょっと無理そうです。泊まっていたオスタルの人に聞いたら、途中の村にもオスタルがあるそうなので、その情報を当てにして進むことにします。

ロンダからしばらくは下り坂。大きな眺めのよいヘアピンを抜け、緩い峠を越えた後、左にそれる道をゆきます。車通りもなく、快適。季節がら作物は植わっていませんが、あたりは何の畑だろう?
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湖の左岸を走り、山の上に白い家が固まってある集落へ。村、というより集落といった方がぴったりくるイメージなのですが、そこがZahara de la Sierra。カタカナにすると、サアラ・デラ・シェラ。というのは、今はグーグルマップで地図が見れますから、読み方もわかるのですが・・・

山の上、なので、急坂を自転車を押して上って、中心部に。日暮れにはまだ早いのですが、雰囲気のいい町だし、1軒、オスタルを見つけたので、この日はここで1泊することにしました。

自転車を宿に置いて、日暮れまであたりを散策。山の上のお城に上ると、白い村が一望でき、羊の群が歩いているのが見えました。

スペインの夜は遅いですね。宿の隣にあるレストランは8時から営業開始とのこと。小さな村ですが、イルミネーションはここでもきれいでした。
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2009年12月21日

1999.12.21 コスタ・デル・ソル

10年前の旅行記です

−太陽の海岸−
直訳するとそんな名前らしいこの地域。キャンプ場を出発して、さっそく地中海沿いに出てみます。キャンプ場は町はずれにあったのでわかりませんでしたが、ここ、ビーチリゾートですね。。。夏はとても賑わうんでしょうが、冬のこの時期は静か。

車がびゅんびゅん走る国道(?)を西へ向かい、フエンヒロラの海岸沿いのカフェでゆっくりと昼食を取り、マルベーリャまで走ります。地中海沿いを走ったはずなのですが、どんな道だったのか、残念ながらほとんど記憶がありません。他の場所と混同しているのかもしれませんが・・・。
お昼に間違えて3人分注文しちゃって、難なく食べてしまったことと、昼の時間が14時頃で、ずいぶんゆっくりしたことだけは覚えています。って食べることばかり(笑)

夕方、マルベーリャ着。

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ヨットハーバーもある大きな整った街ですが、どうもなじめない・・・この日はロンダまでバスで行ってしまうことにしました。とはいえ、海沿いから郊外のバスターミナルまでも、なかなかたどり着かなかった。けっこう坂を登ったような気がします。
ロンダに向かうバスの中で日が暮れました。眺めの良い峠道で、自力で走りたいところではありますが、峠は恐らく標高1000m近いと思われ、今の自分たちにはちょっと難しい峠道でした。

この日の宿は、鉄道駅の前にあるオスタルへ。地図を見ると「アンダルシア」というのがありますので、たぶんこれでしょう。街に出て大きなパエリアをいただきました。おいしかったー。

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2009年12月20日

1999.12.20 ロストバゲージ

当時の写真が出てきました。やはり懐かしくて、何度も何度も見ています。何枚かスキャンして載せようと思います。

10年前の旅行記です

どうせ飛行機が14時間も遅れるなら、そのまま乗り継ぎできないから・・・ともう1回ホテルを用意してくれれば嬉しいのですが、残念ながら(?)目的地までの最終便に間に合ってしまったので、深夜にスペイン・マラガ空港に到着、ターンテーブルで荷物を待ちます。
成田でバックパックと輪行袋に入れた自転車を預けてあります。自転車は、国内線では係の方が持ってこられることが多いのですが、海外では普通にターンテーブルに乗っかってきます。きっと自転車だから、遅いのかな・・・と思って待っていました。

出てこないでターンテーブルが止まってしまいました。バルセロナの乗り継ぎが、時間が少なかったので、間に合わなかったのでしょうか?

どういう交渉をしたのかは覚えていません。きっとカミさんがしてるかと思うのですが・・・ とにかく、機内持ち込みの荷物だけ持って、タクシーで中心部へ。「マラガパラシオ」という高そうなホテルに飛び込んで、その日の宿としました。大理石(調?)のバスルームがとても不釣り合いなホテルでした。実際は(日本の)ビジネスホテルくらいの料金だったような。

翌朝。
ホテルそばのイベリア航空オフィスに行って話を聞きました。
英語のできる人が出てきて(ここでスペイン人はけっこう英語が話せない人がいることを知る)荷物は今日バルセロナから来るので、午後にはホテルに届ける。日用品などで買ったものは、50ドルまで出す。とのことでした。残念ながら、何も買っていません。

午後まで時間が空いてしまったので、街歩き。大聖堂に入ったり、ピカソの生家を見たり、お城に登ったり。

荷物が届いたのは、午後2時過ぎ。
マラガの街も、ホテルも居心地が良かったのですが、ここは先へ。
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ホテルの前で自転車を組み立てて、ほんの少しだけ走り、となりまちのトレモリノスのキャンプ場で泊まりました。

この晩の夕食は、キャンプ場そばのパスタやさんで。



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2009年12月19日

1999.12.19 出国→スペインへ

<10年前の旅行記です>
−前後は、画面左のカテゴリ「1999年の旅行記」をどうぞ−

出発が大幅に遅れたことから、航空会社の用意してくれたベッドでぐっすり眠ることができました。前日まで仕事もあり、準備も結構てこずり、ちょっと疲れていたところ。正直助かった!といった感じでもありました。
朝食はバイキング。出発は昼なので、ゆっくりと過ごします。なんて贅沢な時間!

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結局14時間半遅れで出国しました。

まずはシャルル・ド・ゴール空港まで。
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この飛行機の記憶はまったくなく、パリに着いたときは既に夕刻。

次のフライトは、エールフランスのバルセロナ行き。このままパリでもう1泊させてくれれば嬉しいのですが、どうやらその日のうちにマラガにたどり着くそうで、残念・・・・

飛行機が遅れるからか、ドリンクチケットをもらったので、空港内のマキシム・ド・パリで軽くお茶。

パリからのフライトも2時間近く遅れていたような気がします。パリを出るときには、すっかり暗くなっていました。窓の下にエッフェル塔が見えていたような気がしましたが、気のせいだったのかもしれません。

バルセロナからマラガまでのイベリア航空は、自分たちの到着を待ってすぐに出発。それでも、目的地であるマラガの空港は、深夜の到着となってしまったのでした。



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posted by えすぷれそ at 17:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 1999年の旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

収穫

我が家の配分。

サトイモ14キロ
ヤーコン4キロ
ネギ1.5キロ 他
20091219114735.jpg
posted by えすぷれそ at 17:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | もぶろぐ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パリも往復すればよかった(BlogPet)

きょうくまは、パリも往復すればよかった?
それでえすぷれそは回復するはずだったの。

*このエントリは、ブログペットの「くま」が書きました。
posted by えすぷれそ at 07:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | "くま"のおしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

1999.12.18

いざ書こうと思っても、記録が手元にないまま、記憶だけで書くのはなかなか難しいです。日付は恐らく間違いないと思いますが、時刻はかなりいい加減です。週末にでも当時の資料を探してみますので、記事は後日こっそり加筆・修正します。

<10年前の旅行記です>

12/18の土曜日、エールフランスの夜便で成田を出発することになり、夜、空港に入りました。
が、いきなり飛行機が遅れるとのこと。
当時聞いた話では、どうやらパリで燃料業者のストがあったようで、機材が遅れてると。幸先の良い(?)スタートです。変更後の出発時間は12時半。

ちょっと待てばいいか。

それにしては、なんだか騒然としています。怒ってる人もいるし。
もう一度よく見てみます。

12時半。

勝手に未明出発だと勘違いしていたのです。
未明だと「0時半」です。要するに半日以上遅れる、と。

エールフランスでパリまで行ったあと、飛行機を乗り継いでスペインのマラガまでその日のうちに行く予定でした。特に、3本目の飛行機はエールフランスではなく、イベリア航空なのです。

パリのあと、どうなってしまうのか、ちゃんと現地まで行けるのか、不安ではありましたが、騒いでもしょうがありません。

手続きをして、その日は、航空会社が用意したホテルに向かうことにしました。運良く、ちゃんとしたホテルで1泊目を過ごせることになりましたが、早い時間に現地に着いて、適当な宿をその場で探すというのはできないかもしれないと思い、空港でガイドブックを買うことになったのでした。

この日は出国できず・・・

posted by えすぷれそ at 00:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 1999年の旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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